先日、タレブのInequality and Skin in the Gameって記事を読んでた。

内容は不平等とスキンインザゲーム(自らがリスクをとること)についての話。なかなか面白かった。

許容される格差と許容されない格差

人々は、人気スポーツ選手、一流の科学者や芸術家、成功した起業家との格差については不平等だとは感じないが、その人の実力や努力、運などに起因しない格差については怒りを感じる。

つまり、個々人がリスクを取ったことによる格差はよいことで、リスクとリターンがマッチしていない構造での格差は正さないといけない。(親のおかげでリスク取らずに金持ちだとか、目一杯リスクとって成功したら大金稼げて、失敗したら政府に救済される投資銀行など)

健全な社会とは、社会的格差の逆転が許される社会であり、金持ちが貧乏に転落する可能性のある社会である。つまり、不確実性やランダム性が確保されていることが重要。

このへん、ポールグレアムも似たようなことを言ってたのを思い出した。Yコンビネーターは成功する起業家を生み出す組織だから、格差を生み出す組織とも考えられる。でも、起業家の成功はゼロサムゲームではなく、新しい富を生み出すから社会にとっていいことなんだと書いてた。

Economic Inequality

データをたくさん並べる奴らに気をつけろ

実は、この記事で個人的に面白かったのが、データをたくさん並べる奴らに気をつけろというアドバイスです。

Further, people mistake empiricism with flood of data. Just a little bit of significant data is needed when one is right, particularly when it is disconfirmatory empiricism, or counterexamples for rules: only one point is sufficient to show that Black Swans exist.

要約すると、自分の主張の根拠を証明したい時は、何か決定的なデータが少しだけあれば十分である。特に、何かが経験的に間違っていると反証したい時などは、一つの判例があればよい。ということを書いている。

これは元々ポパーの反証主義から来ている考え方。

この記事での一例をあげると、「例えば、ある人が金持ちだと証明するには、その人の預金通帳を見せればそれで十分である。そのあと、豪華な家具、絵画、車などを並び立てる必要はない。」と書いてます。(これを読んだ後に思い浮かんだのが、情報商材やマルチ商法。)

つまり、自分の主張の根拠を示す時は、説得力のあるデータが一つか二つあればよい。あれもこれもとデータをたくさん並び立てるということは、その主張に自信がないことの表れである可能性が高いと。大量のデータをあれもこれもと並びたててくる奴は注意必要しろと。

このアドバイスはなかなかタメになる。逆に考えると、自分の意見を主張する時、一番説得力のあるサポート材料を絞るべきだってことです。転職時の面接、サービスの宣伝、なんにでも応用できる。

ちなみに、ナニワ金融道作者である青木雄二先生は、のちに妻となる女性に、俺は金あるから結婚してくれと一億円の預金通帳を見せながら求婚して大顰蹙を買っていました。(笑)


*家計簿読み上げのアプリ作ってます。自己紹介と過去ログはこちら