最近はAIの技術がガンガン進化しています。そして、生成AIを上手に使うノウハウみたいなものも出ています。
そこで、悩むのが、このノウハウを頑張って勉強しても、数ヶ月後にはAIがもっと賢くなって必要なくなるんじゃないの?こんな面倒なAIがうまく動くためのプロンプト技術を勉強しても、来年にはいらなくなってそうだ。それを待ってもいいんじゃないかという問題です。
これ、結構、いろいろな分野で発生する問題でして、ITのように技術進化が速い分野ではよく遭遇します。
iPhoneが流行り始めた頃とか、これからはAndroidが支配するからそっちに力を入れた方がいいとか言われたりしました。その次は、これからはどっちでも動くHTML5アプリの時代だとか。Instagramの創業者もそう言って、VC回って資金調達していたらしいです。
というわけで、いつの時代も、こういう悩みは無くならないわけで、その時の判断軸みたいな基準ってあるんだろうかと思いました。
できるだけ陳腐化しないニーズにしろ?
よく聞くのが、いつの時代も陳腐化しないものを学べっていうやつです。アマゾンの創業者ベゾスも「10年後も、人間は1時間でも速く商品が欲しいはずだ」とか、普遍的な人間のニーズに焦点を当てて経営しているとか言っていました。
子供は大人になるまで長いから、こういう基準が適用しやすそうです。でも、子供でそんなことを考えながら勉強するやつがいるんだろうか。
まあ、子供は置いておいて、20年前なら「これからはプログラミングだ」とか、「やっぱり英語だ、いや中国語もいいぞ」みたいな話を聞いていました。
ただ、AI時代に入り、どっちの技術も人間が苦労して覚える必要がないかもって世界がすぐ来るかもしれないし、意外とすぐ来ないかもしれない。
将来こういう時代が来る!というのはすごく簡単で、重要なのはいつ来るか?を予測することなんですよね。できるだけ高い精度で。10年後に実現するか、20年後に実現するかで全然違います。そして、これを上手く予測するのはめちゃくちゃ難しい。
その分野の専門家になればなるほど、予測精度は高まるとは思いますが、結局、その分野の専門家になるぐらい勉強して、ようやく、普通の人よりちょっと先の未来が見えるみたいな感覚です。
その分野が重要になるかどうかの精度を高めるには、その分野の専門家にならないといけない。でも、その分野の専門家になるには時間がかかる。自分が勉強しなくても専門家に聞けばいいやんと思っても、それが正しいかどうかの判断には、どっちにしろ知識が必要になります。
ということで、陳腐化しないものを勉強しろというのは、聞こえは良いが、何年スパンで考えるかとか、自分の興味とか、その時の環境とか、結局は複雑になるので、そう簡単ではないです。
自分にとって今すぐ必要かどうか軸
しばらく考えてみて、思いついた判断基準の一つ目がこれです。
例えば、欲しいガジェットがあと半年、一年待てば安くなりそう、もっといいものが出そうとか。それでも、今すぐ必要で、その期間待ってられないってなると、今すぐ買った方が良いとなります。
語学の勉強もそうで、今日から海外に留学したり、住み始めたら、AIの進化とか待ってられない。
あと、自分が欲しいなと思うサービスを思いつき、さて作ろうか、と悩む時とかも使えます。でも、しばらくしたら技術発展と一緒に解決しそうだったり、誰かが作ってくれそうとか、安い代替手段が出てきそうだとか。大抵のアイデアはだいたいこんな感じです。
ただ、とにかくそのサービスやらアプリやらがあると、その日から自分の生活が激変するわ!ってなったら、待ってられないから作ろうとなります。ここまで思い入れがあると、下調べも終わっているので精度が高い。
勉強の過程が面白そうかの軸
もう一つ、思いついた判断基準がこれです。
結局のところ、勉強って、その過程でいろいろ発見があったり、勉強方法をいろいろ工夫したり、試行錯誤すること自体がためになったり、面白かったりします。
語学でも受験勉強でも就職でも、自分でコツコツやった過程があると大きい。その後、違うことをやる時に応用でき、自信にもなる。
10万円稼ぐにしても、もらった10万円か、初めて自分で稼いだ10万円かで、達成感も違うと思う。大人になってからでも、自分の慣れている仕事で稼いだお金と、新しい挑戦で稼いだお金ではまた違う。
ということで、勉強する過程自体がためになるものだったら、近い将来、AIにとって代わられるものを勉強してしまったとしても、意味あるものになります。
勉強しているものが、いつ、どのタイミングでAIに代替されるかは誰にも分からないけれど、その過程自体に意味がありそうだとか、面白いかどうかは簡単に分かります。
というわけで、勉強していて面白そうだったら得しかないということになります。
学び方を学ぶ
とはいえ、せっかく勉強したものが数年後に使えないものになったら悲しいから、ちょっとでもそのリスクを下げたい!と思うのも人情です。
でも、こればっかりは諦めるしかない。人に聞いてもわからないし。
ただ、無駄にならない要素が一つありまして、それが学び方を学ぶというやつです。一つのものをマスターした人は、他分野でもいろいろと応用ができたりします。
それは習得のコツをすでに学んでいるからで、そのコツは自分に合っている方法論を使っています。なので、他人向けに書かれた本で覚えたことよりも遥かに純度が高い。
となると、なんでも良いから、将来のことは気にしないで勉強すればいいんじゃないかと思うかもしれません。実際、何を勉強しても、勉強の仕方をその過程で学ぶから、その通りなんだけど、一つだけ落とし穴を思いつきました。
落とし穴
基本的にはなんでもちょこちょこやって、試行錯誤しとけば無駄にはならないと思います。ただ、学んだことが将来にわたって何かと繋がりにくいやり方もありそうです。
それは、自分が興味の無いことをするってことです。興味ないけど、将来役に立つよと言われたからやるとか、みんながやってるからやるとか。
人生、今までやってきたことが、何が何と繋がって、将来の時点で役に立つかはその時にならないとわかりません。あとから振り返ると繋がるが、その時にならないとわからない。
でも、その繋がり方が、自分の興味関心が高い分野同士だと高くなります。人は、自分が
好きではないことをやり続けることはできないので、どんな選択をするにしても、自分の趣向に従います。
こう書くと、自分の好きな事ばっかりやってると、思わぬ発見がなくなったり、偏るんじゃないかという心配があるかもしれません。全く違う分野同士の方が、組み合わせた時の希少性が高まるとか。
実際のところ、それはあるので、興味ないけど、試しにやってみるかという分野は、10~20%ぐらいやるといいんじゃないかなと。
まあ、ここまで長々と書いてきましたが、今からこの分野を学ぶか悩むなあという時、こんな感じで考えると、まあやってみようかとなるんじゃないでしょうか。
*家計簿と読み上げのアプリ作ってます。自己紹介と過去ログはこちら。