最近読んだ「サピエンス全史」が最高に面白かった。海外では各所から絶賛の嵐を受けベストセラーになったらしく、認知心理学の権威でありノーベル経済学賞を取ったダニエル・カーネマンは読み終わったあと感動して二回連続で読んだらしい。

ビルゲイツやマークザッカーバーグも大絶賛!とか紹介されているんだけど、僕がこの本を読むきっかけになったのは、クーリエジャポンのこの記事である。

「人類の繁栄とは“虚構”の上にあるのです」 『サピエンス全史』著者ユヴァル・ノア・ハラリ大型インタビュー

このインタビューが面白いと思ったら読む価値ある。さらにいうと、「銃・病原菌・鉄」とか好きな人なら、なおのことオススメ。「銃・病原菌・鉄」はピューリッツァー賞も受賞した名作だけど、あの作品の後、結構似た感じのデザインで似たテイストの本は何冊もあったと思うんですよね。

でも、どの本も「銃・病原菌・鉄」のようなグルーブ感というか引き込まれる感じはなかったけど、この「サピエンス全史」はついに待ってたものがきたという感じがする。個人的には「銃・病原菌・鉄」を超えた面白さでした。

この本は壮大なスケールで人類史を解説する本であり、人類が誕生してネアンデルタール人を全滅させるところあたりから始まる。狩猟採集民から農耕革命にいたり、貨幣の発明、帝国主義、資本主義と人類の発展を辿っていくんだけど、情報量が多いのに文章が抜群に読みやすい。

暗記だらけで世界史の授業にウンザリしてる高校生には、まずこの本を読ませればいいんじゃないだろうか。この本は面白すぎて、下巻まで一気に読み終えるまで最高に楽しい日々を過ごせた。

この本がカバーする範囲は広すぎるけど、どっかは紹介しといたほうがいいので、個人的に一番記憶に残っている名文を紹介してみる。

歴史を学ぶ意味とは?

歴史を学ぶ意味ってなんなの?って言われると、「歴史は繰り返すから、歴史を学ぶことによって未来を予見しやすくなる」っていう意見があるかもしれないけど、僕はそう思わないんですよね。

後からみたら繰り返してることがわかるというのはよくあることですが、それは後から見たらの場合。あとからであれば、起こった事実にうまく結びつく、なんらかの歴史を見つけることはいつでも可能なわけです。さあ実際に未来が今までと同じようにどう繰り返すか当ててみろってなると、実質予測は不可能で、歴史を学んだからといって別に予測能力が上がるとも思わない。

じゃあ、なんで歴史を学ぶのってなると、それは単純に面白いし、楽しいからとしか思いつかず、あんまり自分の中でいい説明は思いつかなかったんだけど、この作者が説明していた言葉がすごくしっくりきた。

下巻の「後知恵の誤謬」から

特定の歴史上の時期について知れば知るほど、物事が別の形ではなくある特定の形で起こった理由を説明するのが難しくなるのだ。特定の時期について皮相的な知識しかない人は、最終的に実現した可能性だけに焦点を絞ることが多い。彼らは立証も反証もできない物語を提示し、なぜその結果が必然的だったかを後知恵で説明しようとする。だが、その時期についてもっと知識のある人は、選ばれなかったさまざまな選択肢のことをはるかによく承知している。

~中略~

歴史は決定論では説明できないし、混沌としているから予想できない。あまりに多くの力が働いており、その相互作用はあまりに複雑なので、それらの力の強さや相互作用の仕方がほんのわずかに変化しても、結果に大きな違いが出る。

~中略~

それでは私たしはなぜ歴史を研究するのか?物理学や経済学とは違い、歴史は正確な予想をするための手段ではない。歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を拡げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。

たとえば、ヨーロッパ人がどのようにアフリカ人を支配するに至ったかを研究すれば、人種的なヒエラルキーは自然なものでも必然的なものでもなく、世の中は違う形で構成しうると、気づくことができる。

ブラックスワンでタレブは歴史を振り返っても未来を予測できない理由をうまく説明してた。でも、その事実をふまえた上で、歴史を学ぶ価値をここまで上手く言葉にしたものは初めて読んだのでちょっと感動した。

不老不死が実現すると世の中はどうなるか?

この本の前半は人類の歴史、発展、帝国主義の功罪など、歴史の大きな流れのつながりを素晴らしい解説で語るのだけど、後半になると近未来の話も出てくる。

そこで一番面白かったのが、人類と幸福についての考察。幸福と聞くと、どうしても宗教的な響きを感じたり胡散臭さが漂ってしまうため、今まであまり学術的に真剣に研究されてこなかった分野なのだけど、認知心理学の権威であるカーネマンも現在は幸福に関して実証研究をしている。

カーネマンの研究は、記憶と現実、どちらの幸福を優先するべきなのかという哲学的な問いもあって、とても面白いので、興味のある人はTEDの動画がまずはオススメ。

ハラリはこの本で、格差、幸福の感じ方を踏まえて、今シリコンバレーで投資が盛んになっている再生医療(最終的には不老不死を目指す)について考察している。

もし、人間が永遠の若さを手にいれることができたらどうなるか?その人は幸せになるのだろうか?という考察なんだけど、この本で書かれている視点が面白い。

医療の発展により、もし一握りの金持ちが寿命で死なない再生医療を手に入れることができたらどうなるか?その人達は幸せになるだろうか?という考察。

科学があらゆる疫病の治療法や効果的なアンチエイジング療法、再生医療を編み出し、人々がいつまでも若くいられるとしたらどうなるか?おそらく即座に、かつてないほどの怒りと不安が蔓延するだろう。

新たな奇跡の治療法を受ける余裕のない人々、つまり人類の大部分は、怒りに我を忘れるだろう。歴史上つねに、貧しい人や迫害された人は、少なくとも死だけは平等だ、金持ちも権力者もみな死ぬのだと考えて、自らを慰めてきた。貧しい者は、自分は死を免れないのに、金持ちは永遠に若くて、美しいままでいられるという考えには、とうてい納得できないだろう。

だが、新たな医療を受ける余裕のあるごくわずかな人々も、幸せに酔いしれてはいられない。彼らいは、悩みの種がたっぷり生じるだろう。新しい治療法は、生命と若さを保つことを可能にするとはいえ、死体を生き返らせることはできない。愛するものたちと自分は永遠に生きられるけれど、それはトラックに轢かれたり、テロリストの爆弾で木っ端微塵にされたりしない場合に限るのだとしたら、これほど恐ろしいことはないではないか。

非死でいる可能性のある人たちはおそらく、ごくわずかな危険を冒すことさえも避けるようになり、配偶者や子供や親しい友人を失う苦悩は、耐え難い者になるだろう。

この考察はなかなか面白い。人間は自分の満足度を相対的にしか考えないので、現在が昔にどれだけ恵まれている部分があったとしても、現在の自分を過去の常識とは比べない。あくまで、比べるのは現在の周りの人たちと自分。

逆にいえば、将来はもっと世の中は便利になって、海外旅行ももっと安く速く移動できるようになり、テクノロジーも進化していていいだろうなあとは思うけど、現代に生きている自分と、未来に生きている人たちを比べて、不公平だと怒ったり、苦悩したりすることはあまりない。

結局、人間は今見えているものと、自分のことを比べる性質を持っているので、このことは、いろいろなサービスを設計する時に、常に頭にいれておくとよいかなと思いました。


*家計簿読み上げのアプリ作ってます。自己紹介と過去ログはこちら