周りで新しいサービスで起業しようとしてる人や、なにかのアプリを作り始めてる人がいたら、とりあえず応援するようにしている。
この、とりあえずという表現は適当に聞こえるかもしれないのだけど、とりあえずの無条件で応援することが重要だと思ってる。なぜかというと、新しいものを作ろうとしても大抵の人は理解してくれないだろうから。
サービスやアプリを作って起業なんて発想は、合理的じゃないし、成功確率も悪いし、もっと悪いことに、この日本だと企業で勤めてた人が辞めて起業したら合コンでモテなくなるらしい。つまり、世間からつまはじきにされるらしいんですよ。いや、そこまでではないだろうけど。。
僕は最初から捨てるものがなかったから楽だったけど、アプリを作り始める時はあんまり理解されないもんだし、大抵の人からは「なんだか、すごく時間を無駄にしている人」という認識だったと思う。
ポールグレアムもエッセイで、「起業というのは、周りからそういう目で見られるし、もっと悪いことに、周りはどこかで君の失敗を願って、ああやっぱりダメだったねというのを期待する」と書いてた。なんて残酷なことを赤裸々に書くんだ。
こういう時に一番ありがたいのは、とりあえず、無条件に応援することだと思う。これは、その対象に詳しい人じゃなくても、身近な人であればあるほど意味がある。彼女、彼氏、奥さん、夫、親、兄弟とか。
ちなみに、大抵の起業家は自分の作っているものに夢中だと思うので、「ああ、なんか楽しそうにやってるな。本人は夢中そうだし、大丈夫そうだな。」と思うかもしれないけど、実際は不安な部分もあるはずなので、そんな時も陰ながら応援すると想像以上に助けになるんではないでしょうか。
ちなみに、ネット系のニュースに取り上げられた時に、Facebookでイイねしたり、「凄い!」とかコメントしようと言っているわけではなくて、そういうのは他の人がしてくれるからあまり必要ないと思うんですよ。
むしろ、ネットで取り上げられてなくて、泣かず飛ばずの時とか、何回ピボットしてもうまくいかんとか、ずっと作り続けてるけど、未だにリリースできんとか、そういう様子の時こそが重要なんじゃないかなと。
応援するというのは、Facebookでプロダクトページをイイねするとか、シェアしてあげるとかいう意味でもない。そういうのは、使ってみて本当に良いと思った時だけにしとけばよくて、もうちょい精神的な部分で、心の中で勝手に応援とかでもよいと思う。
もっと具体的に考えると、大抵のチャレンジは失敗して当たり前だから、行動に対して応援するというか、そういうのがいいと思う。シリコンバレーは、チャレンジを奨励していてそういう人達への敬意があると聞くけど、そういう土壌が重要なんだろうなあと勝手に夢想。
ここまで書いてて思ったけど、別に起業に限らなくても、なんかやろうとしてる人がいて、その行為が世間的には賢いやり方には見えなかったり、失敗の確率が高くてあまり理解されなくて逆境っぽい状況であればあるほど、お仲間や敬意が意味を持つんではないかなと。
漫画家、小説家、音楽家など、勝者総取りの世界でこつこつ頑張っててまったく売れてなくても、それが周りを見ても当たり前で、気軽にみんなが目指してますっていう世界だと気が楽そうだ。
社会活動とか、お国のためになることだったら、基本的に「偉いですね。」って褒めてもらえるからいいんだけど、そうじゃない、「現実みようぜ。。」とか言われそうな分野であればあるほど、まわりの応援が必要なんじゃないかなあと。
アドバイスについて
アドバイスは一番難しい。なぜ難しいかというと、そもそも自分がよかれと思って話すことが、全然間違ってることが往々にあるわけなんです。まあ、話している時はそれが正しいと思うことを正直に話すわけなんだけど。
でも、もっと難しいのは、万が一、自分のアドバイスが正論だったり、結果的に正しかったとしても、正しいことを言うのが正しいとは限らないからなおさらのこと難しい。というか、聞いている相手としては、正しいことなんて最初からわかってるよっていう場合も多いとも思うんですよ。
じゃあ、どういうことを言えば一番いいんだろうといつも悩む。最近思ったことは、相手が自分では思いつかなかったことこそが意味のあることなのかもしれないってことでした。相手が聞きたいことを言ったとしても、それはそれで気持ちよくなるかもしれないけど、一番自分が役にたっているとは言い難いし。
例えば、僕がはじめてプログラミングを勉強した時に作ったのは、Amazonの本の写真を大きな写真に拡大して、順番に並べたりソートしたりするWebサイトだったんですよ。PHPで作った。で、当時はこれがめちゃめちゃイケてるアイデアだったと本気で思ってた。
で、当然のように、「これ天才的でしょ、イケてるでしょ」と周りに見せたんだけど、もちろん評判はちっともよくなく、「こんなん絶対流行らない」という評価でした。でも、結果的に、そこがきっかけになって、また何個も流行らないサイトを作って、その次にiPhoneアプリに進むことができたので、当時のまったくダメなサービスをせっせと作ることが無駄でもなかったのかもしれない。
というわけで、なにが言いたいかというと、客観的には遠回りや、まったく無駄な努力をしているというのが正しかったとしても、その過程そのものには価値がある場合が往々にしてあるので、正しいことを言うのが結果的に正しくないことも十分にありうるなと。
さらにいうと、こんなもんダメだろと自分が思ったとしても、それを覆される事柄が世の中にごまんとあるわけで、先の先のことを考えたつもりが、一番手前から僕が間違ってましたという可能性もある。
例えば、SmartNewsってアプリはあんなにヒットして、自分自身もよく使うようになるとは想像もしてなかったし、タイムスリップしてみると、自分の予想が外れまくってるのはもっとよくわかると思う。今から振り返ると、自分の都合のいいように記憶をほとんど改ざんしてるから、日記でも書いてたらわかりやすいのかもしれない。
というわけで、最近は、「僕もころころ意見が変わるし、現時点ではこう思うけど、僕の意見なんて無数にある中の一つだから、いろんな人の意見を聞いて、それを聞いたからといってあまり影響を受けずに、自分のやりたいように納得できる方法でやったらいいと思う。」といったような、若干、無責任なんだかよくわからない言い方をすることが多い。
本当は、「絶対こうだから、こうするべき!」みたいに言い切ったほうがカリスマ性もあって、人々がついていくリーダー像なんだろうけど、まあ僕はリーダーでもないのでよしとしておきます。
と、ここまで書いておいてなんだけど、僕は娘ができたらやいやいとしつこく助言したがって、絶対に嫌われるタイプだと思う。親にもよくしつこいとよく言われるし、そういう傾向が多々あって、本当にどうしようもない。
この前、こういうことをコンサルしてる友達に話したら、「実は、うちの上司にもそういう嫌われるタイプがいて、娘の話を聞いたら、すごく論理的に正しいことをアドバイスするんだけど、とうの娘からすると、なんだかお父さんに相談したら面倒くさいとか思われて、お母さんにしか相談してくれなくなり、その人はしょんぼりしてるよ。」というせちがない話を聞いた。
最近、むらかみさんのところっていう本をあらためて読み返したんだけど、村上春樹はすげえ受け答えがうまくて渋かった。熟成されててすごい。ノンフィクションばっかり読んでたら、知恵はつくけど人間性はなかなか向上しないみたいなことを誰かが言ってた気がするので、小説を読む比重を増やそうかなとも思いました。
*家計簿と読み上げのアプリ作ってます。自己紹介と過去ログはこちら。