愛着のわく製品を作るにはどうしたらいいんだろうか。と、ルンバちゃん、ルンバちゃんとか言ってるおかんを見ながら、ふと思いました。

というのも、一ヶ月ほど前、あれは母の日の一週間前ぐらいになった頃、うちのおかんが突然こんなことを頻繁に呟くようになった。

「ルンバ欲しいわあ。。ルンバってたぶん便利やと思う。。」

ちょっと前から実家に一時帰郷してて、食費とか払っているものの、家事とかでお世話になっている手前、目に見えないプレッシャーを感じ、新古品の安めのルンバを母の日のプレゼントにした。

結果的におかんは毎日ルンバを使いたおしていて、最近の買ったもので一番役にたっていると言われてとてもよかったんだけど、どうも、ルンバは愛着を持つなにかがあるらしい。

「あれ、ルンバちゃん、止まってる。。」とか、「ルンバちゃん、ちゃんと見とかな座礁する時があるから。」とか、本来はロボットとして失格だろと思うような動きも大目に見てもらっているんですよ。なんだろうか、これは。

これはなにか、ものづくりのヒントになるのかなと思って、なんでか聞いてみた。すると、

「なんでやろうか。たぶん、丸い形してるのがカワイイからちゃうかな?」

これが本当なら、なんでも丸みを帯びた設計にすれば愛される確率が高まるってことかね。そんな簡単な話なんでしょうか。まあ、確かにジョブズも製品の丸みとか、アイコンのまるみにこだわってたけど。

「あと、ゆっくり動いて、一生懸命なのも愛らしい。ちょろちょろっと動いて、ピタッと止まって、また、よいしょよいしょって感じで動くから。」

うーむ、まあ、確かにこれはルンバの動きを見ていて結構共感する部分はあるけど。本来ならびびっと素早く動いて、効率的に掃除して、ハイ終わりました!となってくれたほうが便利なんだろうけど、この頑張ってる感がいいんだろうか。。

なんか、仕事効率的に終わらせてさっと家に帰る合理性より、無理して残業して頑張ってる感出している人のほうが評価される日本社会みたいで嫌だなとも思ってしまったけど、結果的にその動きがペットみたいに愛されてしまうなら認めるしかない。

この時思ったのが、ルンバ作った人は意図的に設計して、愛されルンバになるよにしたんだろうかということなんですが、さすがにそんなことはないと思う。たぶん。現時点で可能なベストの動きで、まるい形もいろいろ掃除するには単に都合がよかっただけなのかも。

でも、この動いているのを見ててカワイイっていうのは、製品作りのヒントが隠されてると思う。

もちろん、ある程度まではちゃんとした仕事をしてくれるものが選ばれるんだろうけど、ある部分のレベルまでいくと、実用性よりデザインとか、愛着とか、使ってて気持ちよいとか、カワイイとか、そういう機能以外の部分をみんな求めるようになるから。

僕が好きなトップギアというBBCの車番組があるんだけど、ランボルギーニ・ウラカンに対する評価を語ってるリチャード・ハモンドがこんなこと言ってた。

「この車は今までのランボルギーニより優れた車なんだけど、今までのランボルギーニは、この車より”ランボルギーニとして”優れてた。以前のランボルギーニに乗ってる時は、特別な気分にしてくれた。渋滞の中でもだ。でも、この車にはそれはない。大きな損失だ。。」

ちなみに、今までのランボルギーニと、このウラカンにはなにが違うのかについての明確な言及は特にないけど、司会のジェレミーも「残念ながら同意見だ。」とこの後に言ってたので、なんだか説明しにくい、なにかがそこにはあるんだと思う。

ちなみに、利便性を追求していないスポーツカーっていう分野は、乗ってて気持ちいいとか、かっこいいとか、そういう部分こそが最も重要だとされてる。ついでに言うと、自動運転が普及した時、みんながプレミアを払うのは運転してて楽しい車だけになるという理屈を、トヨタの社長も言ってたような。

アプリで置き換えると

じゃあ、アプリで置き換えると、そういうものを目指したもので思い当たるのがいくつかあった。

有名なのは、TweetBotというアプリ。このアプリを作っているTapBotという会社は、

「僕たちの作るアプリは、効率性を極限まで追求するよりも、使っていて気持ちいいという部分を大事にしています。」

といったようなことを言ってて、実際にTapBotとかは、アニメーションに工夫があったり、ボタンをタップした時の音にもこだわりがある。

こういうのも一つの方向性なんだと思うけど、僕もそれにならって、ZenyとかTaxnoteにアニメーションやら、音やらつけようかと実験してみたことがあります。でも、これはなんか違った。

単純に僕の好みかもしれないけど、逆に売りであったサクサク感がなくなって、アニメーションとサクサク感の境界線ってのは思ったより際どいもんなんだなあと思いました。

例えば、なにかのボタンをタップして画面転移する動きを作ったとしても、シンプルに画面が右から左にサッと流れて次の画面が現れるだけのデフォルトのアニメーションと、そこに弾力性があるかのように引っ張って跳ねるような追加のアニメーションで画面転移するものとでは、デフォルトのシンプルなままのほうが逆に気持ちよいと感じてしまう。

まあ、これは好みが分かれる例だけど、なんか作ってたら、そういう細部の好みとか、製作者の直感に左右される選択肢は無限に出てきたりする。

そういう部分は、なんでもデータで判断すればいいっていう手法ではうまく行かない領域で、この感性を伸ばすにはとにかくよい作品を見たり触れたりするしかないんだろうなあと。


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