またまたファスト&スローについて書いてみる。この本は凄く面白いからしょうがない。

行動経済学とか、プロスペクト理論とかの部分は定番すぎるのであえてスルーして、今、カーネマンが一番力を入れてるらしい、人間の幸福に関する研究の部分について書いてみる。

それは、経験による幸福と記憶による幸福の概念。

カーネマンはここで、幸福になるためにはこうしましょうとか言ってるのではなく、ある意味、より幸福だと感じていることが、脳みそによる錯誤なんじゃないかという面白い見方をしてる。

終わりよければそれでよしについて

簡単にいうと、人間は途中までの経験が辛くても、終わりがよければ幸福だと感じるけど、 その人による記憶と、客観的な部分を重視するかで見方をが変わってくる。

例えば、温水に二分間手を入れた後、一分間だけ氷水に手を入れる場合。氷水に二分間だけ手を入れて、最後の一分間に温水に手を入れた場合。この二つを比べると、最後に温水に手を入れた後者のほうが人間はましだと感じるのが実験でわかっている。

これは、終わりよければすべてよしの精神に通じるけど、最後がよければ、人間はそっちのほうが幸福だと感じるように脳みそができてるかららしい。

でも、客観的に考えると、全体的につらいのは氷水に二分間も手を入れたほうだから、これは人間の記憶による幸福と実際に起こった事で違いがあることになる。

悪代官と苦労人の助平

この経験と記憶の話を読んでいると、よくある話を思い出した。物語であるのが、すごい贅沢な暮らしをしている悪代官にたいして、「お前!ろくな死に方しないぞ!」とののしる場面。

実際、物語では悪代官が最後は悲惨な死に方をしてしまって、ずっと苦労をしていた貧乏人の助平さんが最後は幸せに暮らしましたとさ、みたいな話。

これ、普通に考えると、人間は最後の死に方というものを凄く重視する。

でも、客観的に考えると、悪代官も助平も50年生きたとして、極端な話、悪代官が49年間贅沢三昧の好き放題で楽しくくらして、最後の一年間だけつらい形で死ぬのと、助平が49年つらい思いをして、最後の一年かんだけ幸せに暮らして死にましたというのは、どちらがよいのだろうかという難しい話になる。

経験と記憶どちらを重視するか

経験による幸福と、記憶による幸福、どちらが大事なのかという難しい問題については、哲学者が何年も前からずっと考えてきた命題であるとカーネマンは本の中で語っていた。

そういや、物理学者のファインマンの本とか読むと、哲学者なんていうものは、ひたすら揚げ足とりの理屈ばっかり物理学者に投げかけてきて、なんか世の中の発展に役立ってるのか、とかひたすら愚痴ってたけど、カーネマンは心理学者だから哲学者にたいしての見方が違うんだなと面白かった。

人間の記憶に残るのは最後の部分なので、こういうどうでもいい事を最後に書くのはよくないなと思い、TEDのカーネマンの講演を見つけてきました。


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