最近、なんかサクッと雑学を暇つぶしに読みたいなと思って池上彰の「そうだったのか」シリーズを色々読んでたんんですよ。「そうだったのか中東」とか、中国とか、EUとか、ロシアとか。結構知らなかったことがちらほら出てきて読み物として面白い。

そこで、そうだったのかシリーズをあらかた全部読んでしまって、似たようなものないかなと買った「世界の見方」っていう新しい本をポチッと買ってみた。

まあ、そうだったのかシリーズに書かれている話が結構重複しているんだけど、その中に出てきた、国ごとに色々なビジネスをローカライズすることの大切さを具体的な事例で色々紹介する話があって、これがすごく面白かった。

ネット系のサービスって文化的なローカライズを軽視しがちに

僕はTaxnoteとか、Voicepaperとか作ってるんですが、ぶっちゃけ、アプリとか、Web系のサービスって、そのまま海外の言語に翻訳したらある程度そのまま使ってもらえるんじゃねえか?って思っちゃうんですね。

これって、実際そういう場合もあるので、判断が結構難しいのです。

例えば、Facebookとかは、海外からやってきて、Facebookなんて海外かぶれの奴らが日本にいながら外国の友達と連絡するだけで、伸びしろないっすよ。みたいな意見は、だいぶ前にはよくあったと思う。

で、そんなに日本向けにカスタマイズされてると思われないけど、今では結構普及している。

Twitterなんかは、日本語の圧縮率の高い言語性と相性も良くて、これまた特に日本向けに特別なローカライズがされているとも思われないけど、普通に流行った。

こういう、アメリカのサービスが結構そのまま言語だけ翻訳されて日本である程度はやっちゃう現象をちらほら見ているので、なんか、Web系のサービスは言葉だけ翻訳しとけば、あとは上手くいくかみとけばいいかなっていう考えが僕の中ではあったりします。

実際、ListTimerなんかは単純すぎるタイマーアプリなので、なんか知らないけど韓国ですごくダウンロードされたりもしてるし。

ただですね、これって、上手くいった場合はたまたまラッキーで上手くいくけど、ダメだった場合、やっぱりその土地の文化をしっかりと知っていないと、なぜダメだったかはわかりにくい。

なので、その文化に合わせる方法が頭の中で思いつきもしないので、対策さえ取れれば結構上手くいくかもしれないのに、それに気づかず諦めてしまっているパターンって多そうだなあと今回の本を読んで思った。

で、その事例ってどんな話かっていうと、こんな話です。

ディズニーランドは夢の国だから制服禁止

僕も、飲食業などのサービスがそれぞれの国ごとにローカライズされる必要があるっていうのは頭ではわかってたわけです。

例えば、インドでは牛はヒンズー教の神様が乗る聖なる動物だから食べてはいけない。なので、マクドナルドが進出する時はビーフバーガーは売れない。イスラム教徒が多い国なら、豚肉食べられないから、豚肉は使えないからメニューからなくなるとか。

こういうのは、頭の中では、まあ確かに海外ではいろんな宗教あるからそうなんでしょうねえ、っていう理屈的な納得だけで、直感的な納得というのは、そこに住んでないからあんまりビビビとはきてなかったのです。

それが、今回の本では、海外から来たサービスが日本向けにどうローカライズされて上手くいったかという事例があり、これが本当に、自分が日本人で日本の文化で育っているだけに直感的に「ああ、なるほど!これはローカライズ重要だわ!」ってなったのです。

印象的だったのがディズニーランドの話。

なんでも、アメリカ発祥のディズニーランドでは、いろんな曲げてはいけないポリシーみたいなものがあり、その一つに、「ディズニーは夢の世界だから制服は禁止」っていうのがあったらしいんですね。

どうも、制服OKにすると、軍人さんとかがそのまま入ってきて、夢の世界の雰囲気がぶち壊されるからだとか。まあ、わからんでもない。

そこで、東京ディズニーランド作る時も、「制服では入場禁止」という通達がアメリカ本国からあったらしいんだけど、これ、日本側は激しく抵抗したらしい。

なんでかというと、制服禁止にすると修学旅行生がディズニーに来れなくなる。これはでかい。

アメリカの学校には制服なんてないし、修学旅行という制度もないから日本側の主張は「なんでこんなことに反対すんの?意味わからねえ」という感じだったらしいけど、話し合いを重ねて、結果的に日本側の主張が通ったということです。

これ、ポイントとしては、日本文化を知っている人だから気づく部分であって、知らなかったら全く気づかない、まさに、データアナリティクスで言うところの無知の無知ってやつ。

英語を日本語に変更する言語的なローカライズの必要性はわかっても、文化的なローカライズは気づくことができないので、そもそも必要があるというところまで辿り着けない。

実は、文化的なローカライズの必要性は、日本の車メーカーがアメリカしばらく住んで徹底的に必要とされるニーズを探った話やら、リーンスタートアップの初歩なので、理屈ではいろんな文献でわかってはいた。

ただ、直感的に、「おおー、確かにそうだなあ、それは当然そうしたほうがいいわなあ。」というしっくり感が来るのは、海外のサービスを、自分の知っている日本文化に合わせる必要性があったという事例をされた時なんだ、そうかあー、と一人で納得してしまったという話です。

でも、アメリカ進出するからって、無理にアメリカ向けにテイストを変えて作ることによって、逆にそのアーティストの良さが消えてしまうとかもあるので難しいですよね。

日本でやってきたテイストをあまり変えずにやったほうが世界で上手くいったっていうケースは音楽業界とかで多々あるだろうし、いやいやそう見えて、あれは見えないところで世界でも受けるように絶妙なカスタマイズがされてんだよっていう話もあるのかもしれない。

ローカライズは言語だけではないので、奥が深く、やりすぎると逆に良さが消えることもあるので、深いどころじゃない、答えのない沼みたいなもんでしょうか。

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